ねりガラ子ノート 改!

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無くなった卒業式と卒コン幹事の思い出

※前ブログからの再掲載で、初掲載2020.03.01.時点の考えです。ご了承の上でお読みください。

再掲載2020.05.09.時点では、リモートお茶会や飲みのような形なら、せめて卒入学式も出来ないかなと、可能性を考えています。

 

新型肺炎により、学校が休校、卒入学式の中止が広がっている。特にこの時期に卒業式が中止になってしまって衝撃を受けた。

 

同時に、2011年3月11日東日本大震災を思い出した。あの時私は、大学ゼミの卒コンを強行したのだ。

 

今回は、当時の卒コン幹事準備を思いつくまま書く。もし、今年の誰かの参考になったら嬉しい。

 

 

 

 

 

3.11から数日が経ち、ひとまず自分に関わる人の生存確認はひとまず落ち着いた頃、ゼミの卒コンが一度中止になった。当時下級生で卒コン幹事を任されていた私は、連絡を受けてすぐ、予定していた飲食店に電話でキャンセルを伝えた。

 

当時、世の中は自粛ムード真っ只中。計画停電をしてない東京でも節電で、心なしか街が薄暗く重い空気が漂っていた。

この混乱で、楽しいイベントが1つ減るのは残念だけど致し方ないよね。まあ卒業式だけでもしょうがないか的な事を、当時思っていた。

 

卒業式中止の一報があるまでは。

 

はああ?!?!

 

まず卒業式が中止になる事があるのかという衝撃。そして、今年卒業するゼミの先輩達を思い浮かべる。

 

うちの大学は自校の敷地内で卒業式を行う。毎年、全国から卒業生の家族がやってくる(と言うと、ある程度場所が特定できてしまうかもしれないが、そっとしておいて頂けると嬉しい)

万が一当日余震で3.11のときのように、交通網がマヒした場合、危険だという空気感、責任が取れないという事だった。

 

まあ、理由はわかる。けれども、卒コンは兎も角、卒業式が無いなんて、卒業生がやり切れないでしょうが!寂し過ぎるわ!

せめて、せめての思い出に卒コンはやらねば!と、当時思ってしまった。

ゼミの恩師に開催許可を取り、再び会場を探し始めた。快く許可してくれた恩師に、今思えば感謝である。

 

うちのゼミの卒コンには、プロジェクターが使える飲食店という条件がある。恩師が毎年、卒業生のための思い出スライドショーを作るので、流せるようにするためだ。

 

結果、駅に近いビルの地下、アメリカンバーに決まった。直接店を訪れて、パソコンを繋げられる大画面とマイクを使うことを打ち合わせる。貸し切りこそ出来なかったが、20人前後の人数を受け入れてくれた。この自粛ムードだろうと、どちらにせよお店は開けてるし、寧ろ使ってくれて有り難いよ、と快くお店のマスターは笑ってくれた。

 

改めて開催する日時や場所を連絡し、出欠を取りつつ、当日の進行を考えていた。

例年、先生のスライドショーで盛り上がるのではあるが、卒業式が無い以上、何か思い出になるようにしたい。

 

なので、卒業式で歌う事が出来なくなった校歌を歌う事と、なんちゃって卒業証書授与を行う事にした。

 

恩師に卒業生一人一人への一言をメールで送ってもらい、うちのゼミオリジナルの卒業証書を作った。表彰状!あんたはえらい!みたいなノリで。ゼミに関わる画像やなんちゃって印章とか載せて、無駄に凝って作って厚紙に印刷した記憶がある。

 

ど根性追いコン、という名の卒コンを開催したのは卒業式の2日前だった。無理せず集まれる人だけでも、という開催にも関わらず、殆どの卒業生が集まった。

 

半ばヤケクソな雰囲気もあったが、恩師の「逆境は人を強くする、カンパーイ!」という掛け声とともに始まり、卒業生との写真とネタてんこ盛りのスライドショーで笑った。

 

そして、マイクスタンドの前に立ち、右手にビールジョッキ、左手にオリジナル卒業証書を持った恩師が、ビールを煽りながら読み上げ、一人一人に授与していく。併せて、私の同級生もオリジナルグッズを作ってきてくれて渡した。

本来の卒業式でもゼミの先生から卒業証書をもらう事は無いので、凄く盛り上がった。

 

そして会の締めに、卒業式で歌う筈だった校歌のCDをかけて歌った。この時、卒業生のテンションは一気に爆発した。いやほんと、爆発

としか言いようがない弾けっぷりだった。溜まってた鬱憤が一気に破裂した感じだが、まあ笑顔だからいいか。貸し切りに出来ず、1組女性2人の一般客がいたので、煩くしてしまったのは非常に申し訳無かったが。やはり貸し切りにしたかったという教訓。

 

ともかく、校歌や応援歌を肩組んで歌い、大団円で会を終えた。

 

その後、二次会としてカラオケに入り(最悪電車止まってもとりあえず一夜過ごせるため)、また校歌。後は宙船にWe are the world、Ya-Ya-Ya、リンダリンダ、で飛んで跳ねての大騒ぎ。15の春と卒業など、この年の卒業生は尾崎豊が大好きだった記憶が強烈に残った。なぞの尾崎コールと共に、夜は更けていく…。

 

 

 

以上が当時の卒コンの顛末である。

 

思い出す為に久しぶりにゼミの恩師のブログを読んだ。当時の記事には、余震や交通網のストップ、放射能など、外に出るのすら勇気や覚悟のいる、さながら戦時下、という言葉が続く。

 

それでも、そんな中に、カラオケで前向きな選曲が並び、このままと思うなよちくしょーめ!という雰囲気の盛り上がりに、僅かでも希望を見出していた。

 

 

今年の状況は、そもそも団体で集まって会食、という事自体がしにくいかもしれない。全く当時と同じ様には事は運ばないかもしれない。

 

それでも、たった一度の卒業式だ。何か1つでも、卒業を祝い、楽しむ場があってほしいと願う。勿論、私は感染病の専門家ではないのでなんとも言えないが…。

 

ただ、苦しい事に意思を絞り出すのは簡単だが、楽しみに意思を絞り出すのは難儀なもの、という言葉もある。

岩田 敏秀 on Twitter: "意思ある享楽|借金玉 @syakkin_dama #note https://t.co/gHQshw0CJ7 “人間は苦しむために意思を絞りだすことはけっこう簡単に出来るのだけれど、楽しむために意思の力を奮うというのは意外と難しいナンギなところがある。”"

 

何か一つでも楽しみによって、その気持ちを少しでも前向きに晴らすことができてほしい。

 

今年の卒業生へ、卒業おめでとう。

 

 

卒業

卒業

  • 発売日: 2014/04/01
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