地方の高校生が都心の大学を目指すべき理由
※前ブログからの再掲載です。初掲載2020.01.09.
ふと、もう大学を卒業して10年近く経つ事に気づいた。
私は小論文と面接で大学に行った、所謂「勝手口入学」(在学中にこの言葉を言った言われたは2回くらい)だ。まあ一定数いる。
大学生活は本当に楽しく、行って良かった。だからこそ、もっと在学中からこうしたかったという想いが色々ある。
大学では友達づきあいにどっぷり浸かるべきだ
価値観の変革を起こしてこそ、大学に行った価値だと思う。
地元では、人生プランのパターンが固定化しつつある。高校出て、すぐ就職するか、地元で大学行って地元で就職するか、結婚して、子供できて、家建てて…
ま、それはそれで素敵な人生プランだし、それで満足なんじゃって人はそれで良いと思う。
ただ、地元じゃ絶対知らなかった考え方や生活が、「ある」事を知れるのが、大学だと思う。
大学入って、色々な雑貨屋、本屋、服屋があるのを知った。
田舎からこれらの店に行くのはプチイベントだが、都内では、学校帰りや仕事帰りにふらっと寄って買える日々の楽しみだ。
週末には色々な芝居や映画、などがあちこちで観られる(会社帰りに観る場合もある)。
経済水準が、文化水準が、地元とは明らかに違うのである。
都会ならではの消費生活と思うかもしれない。しかし、全国津々浦々に流れる情報・流行の発信元は、こうして生まれているのである。経済を回しているのはやはり都会だ。
大学入って、気がつくとみんな塾講師のバイトをしていた。
7月、初めてのテスト期間と思っていたら、周りの会話はデパートのバーゲンで持ちきりだった。バーゲンやってるなんて初めて知った。
長期休みには短期留学し、あるいは1年休学して留学し、就職活動を終え、4年には塾講で貯めたお金であちこち卒業旅行へ行っていた。
みんな遊んでばかりのように見えて、私よりよっぽどしっかりしていた。
クソ真面目な田舎もので、一人暮らしではなく兄弟で暮らしたため無意識に見張りあって門限をクソ真面目に守り続け、仕送りしてくれる実家の価値観にこだわり過ぎた。何にどれぐらいかかるのか考えないまま生活していた。周りのみんなの方がしっかり考えてたと、気づいたのは卒業して数年経ってからだった。
気の合わない友達と付き合う必要はないが、気の合う友達とはとことんあちこち行って、色々話した方がいい。
社会流動性が無くなりつつあると言われてる。どういう事かというと、豊かな家は豊か、貧乏な家は貧乏のまま。
そもそも大学行ける時点で良い方だろというご意見もわかる。大学入ったら、奨学金使ってる人あまりいなくてビビった記憶もある。まあ、田舎から出た人向けの給付奨学金も出てきてるから、上手く使える事を祈る。
都心の大学は、自分を上の水準に上げる可能性がある。海外など、さらに色々な世界を見せてくれる。
合わなかったら、降りればいいじゃない。地元しか知らないのと、広い世界を知って地元に行くだったら、視界は違うよ。
高校生よ、大学生よ、価値観を変えて広い世界を知れ。
と、在学中の価値観変革に失敗した私を反面教師にしてくれることを願って、このたわごとを締める。
異論は認める!チキンハート・豆腐メンタルの為、反撃は辛い!
P.S.勿論、学生の本分の勉強で学んだ事も沢山ある。歴史学での資料批判は、今のネット情報化時代踏まえるべきマストな考え方だ。などと言ってみる。